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オンナの「感情システム」をハックせよ──なぜ、あの子は「怖がる」のか?:ココロの取り扱い説明書(恐怖編)

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"モテる男とは、女ゴコロをうまく操作し、扱える男である。"

──だから、モテたいすべての男は、ココロのメカニズムをオベンキョして、その仕組みを理解しておくべきだ。某ヤリチンカウンセラーのように「女の子の感情」にうまく“ 対処 ”する術を身につけて、美味しい思いをしよう。

 

今回は、恐怖編だ。

 

前回の記事はこちら。

オンナの「感情システム」をハックせよ──すべての感情は生存とセックスの為にある:ココロの取り扱い説明書(序編)

・感情はメカニック

ヒトの「感情」とはなんなのか? 一言でいえば、生理的な“メカニズム”だ。
──「メカニズム」がなぜわれわれに備わっているのか?というと、それは生物本能を遂行させるためだ。

 

・「感情の取り扱い方」は、ヒトにその感情機能が備わった理由から導き出せる

──ヒトの感情は、経済学や社会学政治学、法学の文脈で語られるような“至近の理由(proximate cause) ”によってではなく、生物学的な“究極の理由(final cause)”によって引き起こされる。

 

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"You are the prisnor of your mind."(おまえは、心の囚人だ)- モーフィアス

 

* * *

 

恐怖(FEAR)
あの子はなぜ「怖がる」のか?

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──ヒトのアタマに“恐怖” が引き起こされると、アドレナリンが多量に分泌され、素早い動作ができるようにココロもカラダも身構える。

 

「身構える」:これが恐怖の機能だ。

 

この時に鳥肌が立つのは恐怖の興奮&ストレスが交感神経を活発化させ、体毛を逆だてる筋肉を刺激するためで、これは動物とおなじ"威嚇"の状態だ。まさに危険に対して「身構えて」いるのだ。

 

目の前の「危険」に対して、個体の身体や思考の瞬発力を一時的にパワーアップさせ、臨戦体勢を取らせる。これによって危険を回避したり、うまく対処したりして、個体の生存率を上げる。

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* 高所に恐怖するのは?

──落ちたら死ぬ→ノリで高いところに登って死なないようにするためだ:高所に恐怖しない個体は淘汰されてきた


* 暗闇に恐怖するのは?

──人間が生存のための武器として発達させた視覚が使えない=敵襲に気づかずに死ぬ確率が高い → むやみに暗いところに行かないようにするためだ:暗闇に恐怖しない個体は淘汰されてきた


* 先端・切っ先に恐怖するのは?

──切り傷・刺し傷は生死に直結する→尖ったものや刃物を警戒し、その危険を回避するためだ:尖ったものを怖がらない個体は淘汰されてきた


* 広所/閉所に恐怖するのは?

──広いところは襲われやすい、狭いところは逃げにくい(樹上&サバンナ生活時代)〃


* 巨大なものに恐怖するのは?

──「大きなもの=捕食者」というヒトの先祖時代・ネズミレベルの哺乳類時代からずっと積み上げてきた経験から 〃(進撃の巨人怖い)


* ヘビ (のようなニョロニョロしたもの) に恐怖するのは?

──樹上で生活していたサル時代の名残。樹上生活の霊長類にとって、ヘビはほとんど唯一の天敵だった。〃*1


* 虫や、ブツブツに恐怖するのは?(トライポフォビア)

──これも「恐怖」のひとつだが、これについては次回書く感情:「キモい」に見送りたい。

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*1 ヒトの脳に生まれつき搭載されている「ヘビ検出システム」

─ ヒトと「ヘビ」の関係は、切っても切れない関係にある。霊長類が視覚を発達させたのは、ヘビを素早く見つけるため、かもしれない。

そしてその「視覚」の発達こそが、“イメージ” をつくる脳機能を発達させ、ヒトが知力を増強させる契機となったのかもしれない。

 

霊長類の脳が大きいのはヘビのせい? – 「ヘビ検出理論」の真偽に迫る

>ヒトの祖先であった霊長類が樹上で暮らしているときに、唯一の補食動物がヘビであったために、脳内でヘビに対して敏感に反応する領域(視床枕)が発達し、恐怖を感じる領域の扁桃体に大脳皮質を経由せずに直接情報を伝えるために、すばやく反応できるようになったと考えられています。

>しかし、ヘビはネコ科の動物のように獲物を追いかけるのではなく、身を隠して獲物が近づくまで待ちます。多くのヘビは身体を背景と見分けにくくするカモフラージュを使っています。そのためヘビの体色は、葉や石にカモフラージュしやすいような模様になっています。ヒトは、はたして見分けにくい状況で、ほかの動物よりも効率的にヘビを発見できるかは不明でした(続く)

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察知した危険を警戒し、臨戦体勢を取らせることで個体の生存率を高める

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──これが「恐怖」の感情機能であり、この感情が人間に備わっている理由であり、そしてあの子が「怖がる」原因だ。

 

「恐怖」の目的は、個体の生存率を上げること。つまりこの感情は、生物の生存本能 (Survive) に深く結びついている。

 

● 感情のS/R分類

その感情が「生きる本能」のうち、「生存(Survive)」と結びついているのか、それとも「生殖(Replicate)」と結びついているのか、という分類は強く意識したい。それによって対処の仕方が大きく異なるからだ。

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↑“ Replicate ”するガン細胞

 


"恐怖=生存本能を刺激されている状態"

 

 

 

* * * * * * 

 

 

心のモジュール性

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──いきなりヘンなことを言うが、恐怖を感じている=生存本能を刺激されている時、オンナの“意識”を支配しているのは「自己防衛の自己」だ。

 

アリゾナ州立大で教授を務める、進化心理学者・ダグラス.T.ケンリック──『影響力の武器』の著者・チャルディーニ教授から、直々に心理学の指導を受けた弟子だ──の表現に従えば、人間はみな 多重人格者”であるという。

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“ The Rational Animal: How Evolution Made Us Smarter Than We Think”(邦題/きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論)

 

ヒトの意識人格(アイデンティティ)は一つではない。場面場面で、意識を担当する人格がそれぞれ交代しながら、ひとりの人間というものを構成している。

 

そして、恐怖を感じた時、ヒトは “自己防衛の自己” を作動させる。

 

だから、“恐怖”しているオンナに対処する際、俺たちは、そのオンナの「自己防衛人格」の性格や思考、好みに特化したやり方で、うまくコミュニケーションを取ってあげなくてはならない。

 

「心のモジュール説/Modularity of mind」は、21世紀の心理学において最も強く支持されている理論の一つ。

モジュールとは「組み立てユニット ≒ それ自体で一応機能的に成立している部品」のことで、人間の身体でいえば「手」とか「足」とか、ある機能に特化して作られているパーツのことを言う。

そして、それは身体だけでなく「ココロ」(脳における意識) もそうなんだ、というのが心のモジュール理論になる。

1.領域特異性:モジュールは特定のインプットにだけ反応する。それらは特殊化されている。

2.情報のカプセル化モジュールが働くために他の精神的なシステムを参照する必要はない。

3.強制的な発火:モジュールプロセスは強制的な形で作動する。

4.即座の作動:恐らくカプセル化によって、限られたデータベースを参照するだけでよい。
5.浅い出力:モジュールの出力は非常に単純である。
6.限定されたアクセス可能性:いつ何時でも作動するわけではない。
7.特徴のある個体発生と規則的な発達
8.洗練された神経構造

(モジュールシステムの特性 by フォーダー)

 

人間のアタマの中に存在するのは単一の実行システムではなく、いくつもの独立した実行システムの集合体であり、複数の実行システムを統合して同時に支配する意識というものは存在しない。

 

独立した実行システムのそれぞれが、人間の「意識」を交代で務め上げている。

 

そして、人間が暮らしていく中で遭遇する個々の状況において、その状況をこなすことに特化したココロ=意識=思考=人格が、起動される。

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人間は、統合されたひとつのココロや、ひとつの意識や、ひとつの自己(アイデンティティ)を持っているのではなく、複数の自己の集合体である。

 

アタマの中(ココロ)に住んでいるのは、ひとりの「俺」という人格ではなく、

俺A・俺B・俺C・俺D・俺E・俺F・・

と交代ばんこで"俺"を演じている者たちだ。そして今、この文章を書いているのはその中の一人ということになる。

 

「あらゆる場面において、共通した“自分”というひとりの人格がいる」というのは単なる思い込み(便宜的な理解)でしかない。「あの時はどうかしていた」=本来の自分ではなかった;という言い回しは、言い訳によく用いられているけれど、その時、ほんとうに、人間はどうかしている。

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(喘ぐ女。通常時と興奮時で人格が乖離していることがわかるだろう)

 

コンピュータがwordやexcelpowerpointといったさまざまなソフトを情報処理や課題解決など目的に合わせてそれぞれ使い分けるように、人間も「ココロ」や「意識」をシーンや目的によって使い分ける。


パソコンに同じ入力を打ち込んでも、ソフトウェアが違えば異なる意味形式で認識され、異なるやり方で情報処理がなされ、異なるアウトプットが返ってくるように、

人間もその時その時で意識を務めている人格が異なれば、同じインプット(なにかを話しかける、なにか行動を働きかける)をしたつもりでも、まったく別なふうに捉えられ、まったく逆のアウトプット(笑う、怒る)が返ってくる。

 

そしてそれが時には「コトバが通じない」ようにも思われる。
:オンナが恐怖している時、怒っている時、その対応に苦心するオトコは多いのでは? もちろん逆も。

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だから、相手がいま、どういう人格なのかを知る(推し量る)ことは、他人とうまくコミュニケーションを取ろうと思うなら──あるいは男の口説きにとって──必須のスキルとなる。


そして、その分かりやすいサインが

「感情」だ。

 

●ヒトのココロが備える「7人の自己」

・自己防衛の自己──“夜警”
・病気回避の自己──“強迫的な心気症者”
・協力関係の自己──“チームプレーヤー”
・地位の自己──“野心家”
・配偶者獲得の自己──“自由奔放な独身者”
・配偶者保持の自己──“よき妻、よき夫”
・親族養育の自己──“愛情深い親”

- ダグラス・T・ケンリック&ヴラダス・グリスケヴィシウス著『The Rational Animal:How Evolution Made Us Smarter Than We Think』より

 

 

■ ヒトの「自己防衛の自己」について、その特性(性格)を理解する

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自己防衛の自己(“夜警”)は、危険を察知したとき、つまり恐怖を感じたときに出現する。○○恐怖の例は多く前述したが、そのなかでも「暴力の脅威」に対してとりわけ強く作動する。

 

それは「捕食者に食われる」というジャングルやサバンナにおける過去の想定でもあるし、人間同士の争いによって「敵に危害を加えられる」という現代においても、今なお盛んな想定でもある。

 

この人格が発動するシーン:

  • 身体が危険に晒される
  • 暗い部屋にこもる
  • 他人の怒った顔を見る
  • ほかの人種や異教徒について思考する
  • 怖い映画を見る
  • 犯罪に関するニュース視聴

 

この人格が好む思考ベクトル:

  •  “人混みや周囲に溶け込みたがる”

… 他人の意見に振り回されたり、同調しやすくなる。大衆に支持されるポピュラーな商品を選びやすくなったり、マジョリティを絶対視してマイノリティな人々を社会やコミュニティから排除したがる

 

  •  “力を手に入れたがる、安全を保障したがる”

… 暴力を嗜好したり、より強い人間の庇護に入りたがる。銃を購入したり、自宅のセキュリティ強化に大枚をはたく。

 

  • “損失回避志向が強まる”

… もともと人間は得た利益よりも生じた損をより大きく(およそ2.75倍) 評価するバイアスを脳に持っているが、その傾向がさらに強まる。投資などのギャンブル(と思われるもの)を回避し、保険等のフェイルセーフに多額のカネを投じる。

 

  • “他者に対して不信を抱き、疑い、被害妄想を抱きやすくなる”

… 中立的な表情(真顔)をしている人を「怒っている」「敵意がある」とネガティブに認識する。夜道を散歩してるだけの人を不審者として警察に通報する。知人の何の気ない行動やコトバに対して悪意のニュアンスを読み取る。


すべての女は、よく知らない男とコミュニケーションを取るとき、基本スタンスはこの人格:「自己防衛の自己」に意識を仕切らせている。

- オンナの男に対する恐怖がいまいち分からなければ、こう考えてみるといい──「本気で自分のケツ穴を狙ってくるであろう、自分よりも一回り大きな図体を持つ男と、二人きりでディナーを食べにいくことになったら」
- ケツ穴が引き締まる感じが分かるだろう。

 

そして、これらの"性格"を見ての通り、この人格は "男の口説き"とめっぽう相性が悪い。

 

口説く男をオオカミ、口説かれる女をヒツジとした時、「人混みや周囲に溶け込みたがる」は(男にとって)最悪の性質だ。

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オンナが男の口説きにホイホイ乗っかることは、オンナ社会のルール:“ヤリマン禁止令” に抵触する。「人混みや周囲に溶け込みたがる」とは、それを遵守する、ということなのだ。

 

この人工的*1で、文化的なウーマンカルテルの力は強大で、「出会ったばかりの男とキス、ハグ、セックスしてはいけない」という価値観(ルール)に、ほとんど全ての女の子は支配され、すっかり染め上げられている。

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*1 もちろん、アンチ・ヤリマンエネルギーはオンナの生物的な性質に基づくものであって、その現出であるこれは、決して、非自然的な機構だと言い切れるものではないが;しかし、その他霊長類の社会においてはヒト社会ほど「セックス出し惜しみ戦略」が蔓延していないことを鑑みると、やはり人間的な相互監視社会(あるいはそれを警戒する個人の意識)や、「モラル」と呼ばれるヒト社会において絶大な権力を振るう感情的な善悪マインドが生み出した"人工物"であるという側面は、大きいだろう。

 

だから、その “ルール” をなんとか解除させて、オンナをこちら側へ「ジャンプ」させるのが男の子である俺たちの役割だ。

口説きとは「オンナにいかにジャンプさせるか」──とにもかくにも、これに尽きる。

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来るの?来ないの?;女の子にとってそのバンジージャンプは、男である俺たちの想像以上に物凄く勇気がいることで、だから誘導役の俺たちは、その勇気を奮い立てさせるため、

 

- 「(オスとして) 強い男」
- 「経験豊富なマスター」
- 「女の子に対する良き理解者」

 

こういう属性になっていかなきゃいけないし、途中でどのようなキャラを経ようとも、「来るの、来ないの?」とファイナルアンサーを問う最終段階においては、口説き相手のオンナからこのように自分が認識されてないといけない。

 

弱い男、無害系の男、非モテ男、経験の浅い男…。みんなオンナにバンジージャンプを飛ばせることはできない。だから彼らはモテないし、セックスできない。

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「自己防衛の自己」は決して“ジャンプ”しようとしない。

──男がこの人格に対して「こっち来いよ」と語りかけても、オンナの自己防衛人格は通常の何倍も損失回避バイアス(リスクテイクの徹底回避)が強くかかった思考を持つから、たとえその男にものすごく魅力を感じていようと、その誘いに簡単にノろうとはしない。


それに乗っかって得られるであろうワクワクする楽しさ、ドキドキの興奮、ハグによって満たされる幸福感などのプラス材料よりも、裏切られたり、酷い目にあわされた時の不幸なマイナス材料──実際、べつに大したことじゃなくたって──を過剰にネガティブに評価する。

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だから「自己防衛の自己」を発動させているオンナはひたすら、男のコトバや振る舞い、行為の裏に潜む “悪意” を見抜こうとする。

 

たとえ、実際に悪意が1%と含まれていなくとも、そこに妄想的に悪意を見出す(そう、オンナの訴え次第でセクハラ・レイプは成立する。そしてそれは当人にとって決して「ウソ」ではない*)。

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*人間の記憶形成プロセスはその構造上、「イメージやストーリーの虫食い部分を、あとから自動の無意識で勝手に補完して、ヘンじゃないように “それっぽく” 埋めあわせる」ようにできており、記憶にはつねに無意識の「捏造」が加えられている。いや、言ってしまえば、ヒトの記憶の形成過程とは捏造のプロセスそのものなのだ。それはビデオカメラによるありのままの録画ではなくて、後になってイメージを継ぎ接ぎして書かれた、自伝風のフィクションだ。

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つまり、ヤリチンの必須スキルである、「認知的不協和(cognitive dissonance)」による意識改変

:わたしこの人と手繋いじゃってる😱

→ 好きじゃないとこんな事するわけない😶

→ あぁ…きっと好きなんだ😳

カップルゲーム、あるいはわざわざゲームと明言しないでも擬似恋人行動をさせること;はヤリチンの口説きの常套手段だ)

──と似たようなことが、人間の脳内の記憶形成プロセスでもつねに行われているということ。

 

(※ 人間が自己防衛の人格を表出させているとき、誤った証言によって冤罪事件が引き起こされやすいことはアメリカの犯罪心理学の研究でも実証されている ;  勿論、これは本当にヤッた奴の擁護をする文言ではない。しかし全てはオンナの解釈次第で、セフレからレイプ魔として通報された男だっている。恋愛に関する冤罪は、セックスや口説き「体を (形式的にでも) 押さえる」「相手の服を剥ぐ」「異物を体内に挿入する」というこの世で最も恐ろしい暴力行為に比するものである以上、その区別は行為上また認識上において実質曖昧なものとなるため、決して(冤罪は)無くなることはないだろう──後から振り返ったときに、記憶の形成プロセスとして必然的に、「ヘンじゃないように」「それっぽく」「自然に」ストーリーは改変されてしまうのだ)

 

そして、オンナを口説く男の側も、ふつうは少しばかりの“悪”の意識や罪悪感を持ちつつオンナをホテルに誘うから *1、オンナの自己防衛人格が男の中に目ざとく見つけ出した“悪意”は、結果的に、けっして女の脳内だけで捏造された事実無根のものとは言い切れない....ということが、問題を複雑にする。

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[TIPS]*1 “悪”の意識や罪悪感を持ちつつオンナをホテルに誘う....これはNGの態度。

──真にクズいヤリチン(※ポジティブワード)は、ひとえに“天真爛漫な無邪気さ”でオンナを口説く。天性のヤリチンの口説きにはマジで悪意がなく、性欲しかない。オンナをハメてやろう・・どうにかしてヤリ込めてやろう・・このようなミソジニー丸出しの非モテな態度(男としてザコすぎ)はまったくオススメできない。

モラル的にどうこうの問題じゃなく、こういう雑魚マインドは相手のオンナにも伝わるので、単純に性交率が低下する

「ほんと可愛いわ。。」

「おっぱいめっちゃ柔らかそう」

「マジで今夜抱きたい」

「感じてる表情見たい」

「おちんちんおっきしてきた」

──たとえワンナイトのつもりでも、女の子を心から愛でて、カワイイな、抱きたいな、と思うこと。自らの魅力について自信がなさそうな子であれば、その魅力を伝えてあげること。

 

セックスはしたいが、あまり可愛くは思えない子 ( ≒ 思いたく無い ※非モテのくせにプライド高すぎ、これも雑魚マインド) だったとしても、自らの下半身が示している紛れも無い“好意”について、自分がどれだけ素直になってそれを認められるか、というところがカギだ。

 

一晩限りだとしても、女の子を喜ばせるために、ドキドキさせるために、彼女が後から振り返ったときに “悪くない思い出” にするために、限られたリソースの中で精一杯のことをしよう、これが成功を収める口説きマインド。

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そのためには、男サイドはしょーもない悪意や罪悪感を取り払って、「オンナの子が好き」というポジティブなエネルギー口説きに臨む必要がある。

 

以下のマインドをインストールしよう;

  1. セックスは「卑猥」なものではない。キスやハグの延長線上にある男女のコミュニケーションの一貫だ。
  2. 知り合ったばかりのオンナとセックスをすることは決して「悪」ではない。「男は加害者で女は被害者」というフレームを捨てる(勿論逆は最悪)
  3. 性に関して「モラル」の概念を取り払う。性に関する世の中のほとんどの「インモラル」は、宗教的価値観(非モテや弱者のルサンチマン)によって創作された「悪」だ。
  4. 女の子にも性欲はある。ただし社会的な圧力──女は貞淑で、慎ましい存在であるべき──に雁字搦めに縛り付けられている。だからそれを“解放”してあげる。もちろん、“二人だけの内緒” で。

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お堅い態度、不信と疑惑の目

 

さて、すでに述べたように、この「自己防衛の人格」は社会や、所属するコミュニティにおいて浸透している価値観・支配的なルールを「マジョリティ」として捉え、そこに自分も溶け込もうとする傾向がある。

まるで、オオカミに狙われていることを察知したヒツジが、あわてて仲間のもとに駆け寄り、群れのなかへと紛れていくように。

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(あるいは治安が悪く、社会が混沌としたカオスに満ちている時──ホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」状態──には、ルール違反のほうをマジョリティとして捉え、それに追従する傾向がある。ex. アメリカのハリケーン被災地ではこの自己防衛の人格が大衆を強盗行為に走らせた)

 

オンナの自己防衛人格は、話しかけてくる/ 誘ってくる奴がどれだけイケメンで魅力に溢れていても、お堅い価値観やモラル、疑惑の目、不審&不信という性向を揺るがせることはない。

 

男がいくらオンナの“理性”「俺を信じろ」と訴えかけているつもりでも、そのときオンナの“理性”を務めているのは「自己防衛の人格」だ。

信じろ、と言われれば言われるほど、(“理性” によって思考したところの)不信感は強度を増していく。

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[Tips:感情と理性]

── 一般には、「理性」とは感情的/本能的なものによらない、ヒトならではの「合理的な思考システム」だ、とか、相手にコトバが通じないのは相手の脳がいま「理性モード」ではなく「感情モード」だからだ、というようなコンテクストでよく語られる。


しかし、進化心理学が解き明かしたのは、感情と理性は決して分けられるものではないということだ。意識的な思考プロセス(Slow思考)にも、無意識のうちに感情的な思考プロセス(Fast思考)が大きく関与している。


合理的な不合理性:感情はバカではない

──そして、ここが重要だけど、
そのような一見「合理的でない理性」が行う思考や意思決定

(ex.「自己防衛の人格」が他人の話をまるで取り合わずに拒絶したり、無駄な保険や積立貯金に生活が不自由になるほどカネを注ぎ込んだり、あらゆるセキュリティや防犯対策に元が取れないほどカネを浪費したり、中立的な人の態度や情報を自らに対する悪意や敵意を含むものとして妄想的に分類したり)

は、ヒトの長い進化の歴史において、生物の目的:生存&生殖を達成することをより有利にするための思考バイアスとして脳に備わった、つまりそれらの「不合理な愚かさ」は生物が生きのび、セックスを獲得していく上で非常に合理的なものだ──ということだ。

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「オレを信じろ」

「ごめん、むり。」


──当然だ:信じるとは、決心だ。それは自分はこうするという意志だ。

(それは、自己防衛人格がもっとも苦手とするものだ)


──信じるとは、つまり、「相手を信じる」ということではなく「相手を信じるという判断を下した自分を信じる」、ということ。そしてそのためには相手の行動をコントロールしようとするのではなく、相手のすべての行動や意思決定を受容する、という態度が前提になる。

 

「オマエが何しようと構わない、ついていくよ」が「信じる」の基本スタンスになる。ある意味それは、万が一の裏切りすらも丸呑みにして消化してやろうという愛の態度だ。

https://youtu.be/yPK6BGm6evw

“ ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる ”

 

 

──これはクサい話じゃなく、人間が他人を信じる時に分泌される信頼ホルモン:オキシトシンの別名は、

「愛情ホルモン」だ。

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「浮気?それがどうした?それでも嫌いになれないだろうし問題なくね」──たとえ一時の強がりだとしても、ヒトが誰かを信じる決心をする時、この寛容で、大らかで、すべてを包摂するようなマインドがココロに生まれている。

 

・・そして、人間の意識を「自己防衛の自己」が支配している時、オキシトシンの分泌量は最も低下する。

 

──この人格は徹底的に対人不信であり、愚かなまでにリスク回避的であり、自己保身することや、傷つかないように予防線を引くことにとても熱心であり、意思決定が依存的であり(「信じる」という意思決定を自らの責任のもと行うことができない)、自分の“弱さ”(たとえば、人を信じてしまうこと)に焦点を合わせて、それを全力で「強く」カバーしようとする。

 

──あまりにも“信じる”ことと相性が悪い。口説き男にとって、自らに矛先が向いた不信感ほど厄介なものはない)

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だから「自己防衛の自己」に陥っている人間は、「あなたのことが信じられない → 信じられる“証拠”を示して」というようなフレーズをよく発する。


「信じる」とは自らの“意志”なのに、自己保身と責任回避を優先するために、その決断を自ら行うことができない。不安で怯弱なメンタリティのために、「自分を信じる」ことができない。

 

反発心

 

─ さらには「いいから信じろよ!!」と他人の指図や命令によって意思決定を“強要”されることが、また反発を生む。

 

当たり前の話だが、他人に暴力で服従させられたり、または暴力を用いなくとも支配的なコトバによって他人に指図されたり命令されたりすると、ヒトはそれに対して自動で反発心を抱く思考機能 (動物本能) を備えている。

 

その命令や指図が「正しい」ことであり、「自分のため」を思って(?)、相手から 発せられたものであっても、それが理性的に思考されることはほとんどない。

瞬時に「自己防衛の自己」「地位の自己」が呼び覚まされるため、反射的に思考が反発し、不信感を掻き立てられる。

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* 話を聞く限り、メガバンクのオッサン達は未だに、時代錯誤甚だしい方法──荒っぽく罵り、晒し者にし、徹底的にイジメあげる──によって新卒を “育てて” いるらしいが、ヒトに恥をかかせたりプライドをへし折るようなやり方で「教育」することは、真に人間をコントロールし、あくせくと働かせ、組織を円滑に機能させようと思うなら、まったく賢いやり方ではない。

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* 「ヒトは動物だ」という観点に立てばこそ、そのような動物本能を露骨に呼び覚ましてしまうようなやり方を採ることは間違いだ。

ヒトは文明によって自然から切り離された“家畜動物”だが、どんな従順な性向を持つ家畜動物であろうと、“野生の本能”が目覚めさせられるような環境(仕打ち)に置かれると、家畜としておとなしいままではいられない。

ヒト個体はそうなると、労働で成果を上げることよりも、群れ内での序列を上げること (社内政治) に終始コミットするようになる。一時的には劇薬としてポジティブな効果が得られることはあるものの、結果的には組織全体として生産性が上がらなくなる。

 

 

相手のコトバを冷静に取り合い、信用することは、オンナが自己防衛人格を発動させなきゃいけないような状況の場合、大いなる生存リスクを孕んでいる。*2

*2 詳しくはまた別の機会に回すが、コトバや合理的理性の起源と、その欺瞞性というものを遡って理解すれば、答えは自ずと見えてくる。

 

『コトバ』はヒトが社会で暮らしていく上で必要となった「タテマエ」として大いに機能した。

● そして『合理的理性』は、ヒトがヒトをハックする──つまりいま俺たちがやっているように相手の「動物的な行動やクセ」を客観的に分析してそれに対して先回りする機能 : これは相手との生殖生存競争に打ち勝つ上で非常に有利に働く、のちに「自らの客観視」にも応用されるようになる──ために我々に備わった、という説が現在有力だ。

 

その両者に共通するのは?「騙し」と「欺き」だ。──ヒトが恐怖に駆られた際に発動させる「自己防衛の自己」が、他人の言語戦術を取り合わない(言葉が通じない)ようにできているというのは、非常に合理的で適応的なセキュリティーだとは思えないだろうか?

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──だから、警戒されている男が、オンナの家の (ココロの)ドアを何度ノックしようとも、きまって対応に出てくるのはこのお堅くて用心深い人格で、

 

(何か用??ごめんなさい、前も言ったけど、ウチはそういう怪しい勧誘販売は断ってるの、もう帰って)

 

と、ロクに言葉も交わす間も無く、"失せろ""バタン"でコミュニケーションは有無を言わさず終了する。
─ たとえその二人が、元・彼氏/彼女のような関係であろうとも。

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近寄らないで

 

 

* * * * * 

 

 

“恐怖”スイッチをOFFにする

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さて:ここまで"恐怖"という感情システムが呼び覚ます「自己防衛の自己」の特性について語ってきた。

 

ややこしいのでこの二つを改めて整理しておくと

  • 感情──“恐怖”
  • 理性、意識──「自己防衛の自己」

となる。

 

従来の心理学では「感情(と、それに伴う思考)」と「理性(と、それに伴う思考)」は正反対のものであり、互いに抑制し合ったり、性質上反発し合うものとして認識されてきた(“fast思考”と“slow思考” それぞれの特性についてはカーネマンの『ファスト&スロー』が詳しい)が、

 

近年の進化心理学の研究によって「脳は単一の実行システムでなく、異なる複数の下位システム・プログラムの集合体で、それらが交代で意識を仕切っている」というココロのモジュール理論が打ち立てられて以降、もはやヒト的な理性思考と動物的な感情思考を完全に分けて捉えることはできない。

 


感情を抑制するものは理性ではない──また別の感情、また別の理性だ

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オンナが「怖い」と思う(=意識する)時、すでに意識(=理性)は発動している。オンナの人格(意識)が「自己防衛の自己」に入れ替わり、脳内ではサイレンがけたたましく鳴り響いている。

 

だから、オンナの「怖い」を無くすためには、恐怖以外の感情か、「自己防衛の自己」以外の自己を呼び出して、人格(理性、意識)のスイッチを切り替えないといけない。

 

一般に、感情の対処法(コーピング)にはベクトルの違う3つのやり方がある

 

  • a. 問題焦点型コーピング[解決]

....感情を引き起こした問題を特定して解決する。排除する。

  • b. 感情焦点型コーピング[共感]

....問題を解決することは後回しにして、共感したり、感情的なサポートをし、感情を消化させる。

  • c. 回避型コーピング[回避]

....他のことに注意を向けて、問題や感情の存在を否定する。隠す。

 

そして、ヤリチンならみんな知ってることだが、オンナに対しては通常、「感情そのものに焦点を当て、それに共感・同調し、消化させる」bのコーピングがおススメだ。(オトコはaな)


しかし:いくつかの例外もある。このトピック「恐怖」についての場合、必ずしも「オンナだからbが正解!」とは言えない(後述する)。

 

これらの分類をアタマにいれつつ、以下、「怖い」の感情スイッチを切り替える方法をいくつか並べていく。

 

 

1.“恐怖”の発生源と、その安全性を確認しにいく[解決]

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──「バカじゃねぇの?」と思われるやり方だが、もっとも根本的な解決法だ。

 

動物が抱く恐怖は、“生存の脅威”におびやかされた場合に発動する。

そして──ここがポイントだが──、現代社会に暮らしていて死ぬことはまず無い。

 

何が怖い?ゴキブリ?ピエロ?職場のおっさん?どんな場合であれ、そいつらに殺されることなど絶対に無い。

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“自己防衛の自己”は、損失を過大に評価する。「しょーもないオッサンからただ叱られるだけのこと」をまるでぶん殴られたり、骨折させられたり、生命の危機に瀕するようなレベルで過大に評価してしまう(人間の脳はそれくらいに恐怖というものをデフォルトで過大評価する)

 

そして時間が経って後から振り返ってみれば、必ず笑い飛ばしてしまうほど、その値付けは明らかに間違っている。

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・草むらが揺れた!なんだ?怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

・ボス猿が怒ってる!なんだ?怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 

どちらのケースも、自然界では実際に大きな怪我を負ったり、殺されたりする可能性がある。

 

──だから、本能的に、恐怖に対しては過剰にセキュリティ(バイアス)が掛かるよう、頭の認識システムはできている。

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しかし、ここで揺れた草むら=恐怖の源を実際に“確認”しにいってみると??

おいおい、いたのはライオンじゃなくてただのネコかよ。一安心。


そう、安全保障がなされて「ほっ」となることで、“恐怖”のプログラムは適切に終了される(※ 感情はPCとおなじで、いきなり強制終了すると色々不具合が出てくることがある)。

 

職場のおっさんが怖い?facebookを検索して、そのおっさんも家庭ではパパをやっていて、嫁も子どももいることを知ろう。きっと、安全性が確認されるだろう。大丈夫。死なない。

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● ケース1:オンナに自分が怖がられている


「自己防衛の自己」は、見ず知らずの他人に接したり、異教徒のことを考えたりした際、発動される。“恐怖の発生源”である自分の安全性を確認させ、相手の生存(笑)を保障しよう。自分のプロフィールを開示し、敵意がないことを示し、相手の自己防衛の意識を緩和してもらう。

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この時、メンタリスト並みの洞察力をキミが持っているなら、相手の想定されるプロフィールに意図的に近づけた自己紹介をすると効果的だ。


「自己防衛の自己」は“異教徒”に対し強く反応する。だから、プロフィールを近づけることで(同じドラマを見てるとかのレベルでいい)自分は“異教徒”ではなく、キミと同じ側だ、ということを示す。

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これは人間に「ウソ」を自白させる際に有効な方法でもある:「わたしはあなたの味方よ」

(自己防衛の自己が解除される)

 

たとえば、イベントナンパが成功しやすいのは、互いの属性が被るからだ。

街コン?音楽フェス?食イベ?クラブ?学祭?就活ナンパ?異業種交流会?──すべて、ヤリチンにとってはおもわずココロが踊ってしまう出会いのボーナスイベントだ。

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このようなイベントでは、初対面の子に話しかけても、「自己防衛の自己」を余りに呆気なく解除することができる。

 

女の子にとって、男が “付箋づけ” できる存在であることはとても重要だ。

(だからコミュニティ内恋愛や紹介恋愛がここまで流行っている──べつに同じ組織や団体に所属していたからといって、よほど親密でない限り、その男のことなんて何も知らないに等しいのに)

 

初対面の「ミスター・ストレンジ」を、

・「街コンの人」

・「フェスで仲良くなった人」

・「グルメイベントで奢ってもらった人」

などと、アタマのなかで付箋をつけて “分類” できるようになるだけで、その男も生殖相手の選択肢の一つとして、女のアタマの片隅に置かれ始める。

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:注意!恋愛市場の需給差により、オンナは選択肢を無数に抱えている。まだ胸を踊らせる時じゃない(ここで安易にテンションを上げて熱めなラインを送ったりすると、気持ちの温度差がバレバレになる。そうなるとフェードアウトコースだ。基本的に、オンナはじっくり加熱させなきゃいけない。会わないときは適切に気持ちの距離を取ってグツグツさせ、会った際の3〜4時間ほどで一気に加熱し、イイ食感に仕上げる。)

 

 

そして、このような “属性” は、極論、無限に拡張することができる。

 

「すいません、キミも花火帰り?」

 

クソ。花火帰りの属性一致なんてマジで赤の他人も良いところで、ほんとクソみてぇな文言なんだけど、「俺たち一緒だね」という感覚さえ与えられればイイわけだから、そこにロジックはいらない。

必要なのはノリだ。すべてのコミュニケーションはメタに交わされている。

 

「チャラい奴の会話や発言ってロジックが破綻してるよな」

「・・・アタマ悪いなやっぱ」

 

違う。ヤリチンの会話や発言には、つねにメタな意味がある。彼らが意識しているかは別にして、彼らのコトバの裏に仕掛けられている絶妙な心理効果が、人の感情を操作していく。

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● “属性一致”の声掛けは、プロフィールがもともと一致している必要などない

:おなじ行列に並ぶ、おなじ混雑に巻き込まれる、おなじく雨に濡れる、おなじメニューを頼む
(ex あのーそれなんてメニューですか?あ、すいません、めちゃくちゃ美味しそうだったから頼みたくて。笑)

──自らイベントを発動させればいいだけ。(イベントの発動のさせ方は、実践経験を積めば積むほど自然に洗練され、違和感がなくなっていく。イベントを自ら起こせるお祭り男はモテる)

ライアン・ゴズリングの “イベント”の起こし方

 

 

※ ここで「オトコ」のフォルダに入れないやつも大勢いる。

・・それは、女をオンナとして見ること・扱うこと(そしてそれがバレること)にビビった結果だ。

どんな非モテだろうと、オンナをオンナとして扱うことは出来る。その結果、拒絶されることを恐れ*a なければ。

 

*a その妄想的な “恐れ” は、「メスにちょっかいをかけようとすると強いオスが出てきてブチ殺される」という太古の昔の恐怖が今なおキミの頭にもたらしているセキュリティだ。

──オンナを口説いて、その “ガード” を外させたいと思うのに、みずから「自己防衛の自己」を振り翳してガードを固めてどうするバカタレ!「俺は死なない」と10000回唱えるんだ

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● ケース2:オンナが行動を怖がっている

 

──「オンナが何を怖がっているか」を見極めることはとても大切だ。一見、自分(男)が怖がられているようで、その実「これから何か(行動)をすること」を怖がっている、という場合がある。

 

キミが“ブレイバー”になろう

 

「自己防衛の自己」の人格の特徴を思い出してみよう。“他者依存的”という部分だ。怖れに駆られたヒツジは、恐れているもの以外の何か/ 誰かを──ときには“盲目的”に──頼りたくなるという習性を持つ。

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詳細は、“将来に対する恐怖感情”=「不安」の項目に回そうとおもうが、不信感を強く掻き立てられた人間ほど、不信感を抱いている対象とは別の「自らを守ってくれる存在」「信じられる存在」を強く求めるようになる。

カルト宗教からカルト宗教へと渡り歩く信者、男から男へと渡り歩くオンナ、権威から権威へと渡り歩く大衆、みんなそうだ。

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ヒトは太古から「コトバ」タテマエ(=嘘) として、社会の円滑化をはかる目的で使用してきた。

 

現代においてもそれは“お世辞”とか、“儀礼的なやりとり”とか、個人が社会人を演っていく上で欠かせない「」として強く機能している(みんながホンネを剥き出しにしてコミュニケーションを取りあう社会など成り立つだろうか?)。

 

コトバにはそもそも本質的に「偽り」や「虚構」が含有されている、いや、コトバとはそもそも「偽るため」に用いられる道具なのだ *1 *2という認識を持っておくことは重要だ。

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*1 昨年話題となった『サピエンス全史』でも、コトバはおそらく「噂話」「陰口」を起源とするだろうと述べられている

:「ウワサ」とはおおよそ発信者によって事実が意図的に捻じ曲げられた“ウソ” と言ってもいいもので、現代においてもオンナが盛んにやりあっているような言語戦術による生殖競争を行うツールとして、コトバはヒトに備わったのではないだろうか。

*2 但し:こういう信条を強く持つことで、かえって真実を捉える目にフィルターが掛かってしまうこともあるから注意しよう;「オンナの本意はコトバではなく『行動』からしか推し測ることはできない」といったヤリチン言説は当ブログでも度々用いてしまっているものだけど、そのような「これだけ守っておけば安全!」という“ルール”を盲信してしまう態度こそ、真実を捉えるレンズを曇らせてしまう一番の要因になる

──大切なのはただ一つ、「恐れない」ことだ。

 

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だから──オンナが「もう誰も信じない!」というようなお喋りをわざわざ口から発している時ほど、本心はその裏腹:「つよく誰かを信じたい」であると(も)読み取ることができる。

 

そう、そこにチャンスがある。


男は、オンナの自己防衛人格の特性:他者依存的 を利用して、

  • 強い男
  • 経験豊富な男
  • 身を委ねて守ってもらいたくなる男

を、意識的に演じていこう。

 

そういう属性の男に「怖がらんでええから笑 何かあったら俺が守ってあげるから、一緒にやってみよ?」という態度で接してもらうことで、オンナは行動に対する恐怖を次第に和らげ、「わかった。。。やってみる!」とポジティブな方へ向かうようになる。

 

恐怖の解除プロセスは、自転車の練習と同じだ*1──人間は行動しても“死なない”とわかると(安全確認がなされると)、恐怖を消化することができる。だから男は、オンナに勇気をもたらす存在 “ブレイバー” になることを意識しよう。男は、オンナの前で「強く」あらなきゃいけない。

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──逆に、やってはいけないのは、

 

オンナが怖がっている時に自分まで同調して怖がってしまうこと

あるいは、オンナの恐怖に “共感” して、自分を弱く見せてしまうこと)

 

だ。

 

オンナが行動を怖がっているのか、自分という人格を怖がっているのか、の分類がアタマで認識できていないと男は、

目の前で怖がっているオンナの恐怖を解除するために、自分という男を小さく縮こめて弱く見せる (「怖がらせない」ための動物的な対処) ということをやってしまいがちなんだけれど、これからオンナとアレコレしたいと考えているのなら、それはけっしてオススメしない。

少なくとも、口説きには不向きだ:オンナの恐怖の矛先が、自分という男の存在に鋭く向けられている場合を除いて。

 

 

オンナの恐怖に際し、男がやるべきことは「恐怖対象の安全確認」をさせることだ。

そして、オンナが自分という男を対象に恐怖しているのではなく、自分以外の誰かや、これからの何かの行動に恐怖していると思うなら──ヤるべき対応は

 

1.「オレが守ってやる」と、強く落ち着いた自信のある態度で振る舞うこと

2.オンナを「行動」に向かわせ実際に安全を確認させること

 

とにかくこの二つだ。

(結局、口説きに際して男が取るべきポジションは、子どもの自転車乗りに付き合う親みたいなもんなんだ)

 

オンナの恐怖に同調して、キャーキャー喚いてしまうと、オンナの中でキミの“地位” は大きく低下する。

 

それは女と「友達」になりたいなら有効な手だが、「男」として見なされようと思うなら、けっして良いやり方ではない。

 

“恐怖” は写し鏡だから、オンナが不安になったり、怖がっていたりするのを見ると、男も不安になったり、怖がって(ビビって)しまう。

 

デートの終盤。いま不安なのは男に口説かれているオンナの方なのに、その女の不安な表情をみて、自分まで不安になったりビビってしまう男がいる。

 

男「バンジージャンプ飛ぼうよ!」
女「やだ、、、怖い」
男「そんなこと言うなよ。。オレも怖いよぉぉぉぉぉ」
女「(・・・は?)」

 

女子高生同士のように、恐怖に同調した二人がお手手つないで「いっせーのーで、キャーーーーー!」と飛び込むようなこと。そういうのは、男女間の恋愛においては上手くワークしない。

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それが効力を発揮するとしたら、キミが女からすでに「強い男」として捉えられている(オンナのなかでそれが自明になっている)場合のみだ。

花男の道明寺みたいな奴がお化け屋敷に入るのにビビってて、つくしみたいな女に笑われるシーンを想像してほしい

女「えーなに?もしかして、、怖いの?😁」
男「あ? ざけんな、び、ビビってねーわこんなもん!👿」

これは一種の“ play/プレイ” であって、普段強くてカッコいい男が、おもいがけず怖がっている(しかしいざという時は絶対自分を守ってくれる)という「スキ」の演出である。

 

恐怖に同調・共感することは、特定の文脈上:詳しくいうと、オンナの「協力関係の自己」「配偶者保持の自己」が刺激されている場合(すでに深い友達であるとか、カップル関係であるとか)──においてのみ、オンナの恐怖を和らげることに効力を発揮する。

 

目の前のオンナが「自己防衛の自己」モードであるならば、男がとるべき選択肢は一つだけ:「強者」としてブレイバーになることだ。


──そこで勝ち取った「男としての信頼」は、後々の口説きを優位に進めることにつながる。f:id:nonnojoshi:20180514143000j:image

 

 

* * * * *

 

 

[ Tips:自分という男について “安全確認させてしまうこと” のリスク]

──恐怖の解除には安全確認が必要だ。

けれども・・・

 

・男自身が怖がられている場合、男は「自分自身について安全確認させる」という方法を用いる:職場のコワイおっさんについて“安全確認”させるため、そのFacebookを覗かせるように。

・プロフィールの開示、プライベートの開示はオンナの恐怖を和らげることに非常に有効だが、同時に「ナメられる」という口説き上のリスクも発生させる。

 

─恐怖は、“自らを脅かす存在”をオンナが認識することによって発動される。

つまり、「オンナから怖がられる男」は、少なくともオンナから「男」としてナメられてはいない

 

ボスゴリラの前に群れの若いメスゴリラ一頭が立たされた時、少なからずそこに「恐怖」は作動するだろう。そして、ボスゴリラはそれを“解除”することで、メスゴリラのハートを掌中に収める。

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男は、口説きにおいて、つねに女の「一つ上」のポジションを確保していないといけない。格上であれ、ということ。

 

──「同じ目線に立ってくれる」のをオンナが喜ぶのは、“格上の男が自分の背の高さまでしゃがんでじっと目を合わせてくれる” という状況においてのものだ。

それは、<男が格上である>という前提がオンナの頭の中に : 「理想的な彼氏ってどんな人?」って問われたとき、オンナが頭で思い浮かべるのは格上の男だ)ある上での話であることを、男はけっして忘れてはいけない。

 

──召使いに“レディファースト”されて喜ぶ女はいない。

そんなことをしても、「召使い=思い通りになる格下の男」という認識がなおさら強くオンナの頭に固定化されるだけだ。

それはあくまで、相手が “王子様” だから成り立つ(ディズニー映画を見よう)。そしてオンナにとって、惚れた男とはまぎれもなく、王子様だ。

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ヒトの生殖システムの設計上、オンナは「格上の男に惹かれる」ようにできていることを覚えておこう。

 

そして、それはけっして組織内地位・社会的地位や、年収といったデータ的なものに依存する話ではなく(もちろんそのような “フィルター” を通して人間の認識というものは構成されやすいが)、「生殖相手として優れている」という本能的な実感において「上」であればいい──でなければヒモやモテるバンドマンは存在しない──ということ。

 

「格上」とか「格下」とか、まるでヤンキー理論のように聞こえるかもしれないが、男女関係の生物的なパワーバランスの管理は、女の子のハートを繋ぎとめておくために─付き合った後や結婚後の関係においてさえ─非常に重要なことだ。

 

もしキミがお小遣い3万円クラブに入会したくないなら、あるいはカカア天下を絶対に阻止したいなら、嫁からリスペクトされる男でありつづけるべきで、見た目も中身も、男としての鍛錬を決して怠ってはいけない。

 

“オッサン化”した男の前に広がるのは、搾取地獄へのハイウェイだ。会社組織に食いつぶされることで、弱くてキモくてひどく従順な中年男というものは完成するが、「結婚したしもう別にモテなくていいだろ」という事ではけっしてなくて、嫁から「モテない」ということが人生における大問題を引き起こす。

(動物的な本能によって)嫁から“見下される” 存在になってしまうということ。そこから中年男のあらゆる不幸というものは現出する。家庭において「父」としての威厳を保つためには恐怖政治を行う必要は無いし、そんなことをしても不幸になるだけだが、けっしてナメられてはいけないし、嫁の恐怖政治を許してもいけない。

家庭に収まったからといって「安全な男」になってしまうのではなく、男としての適切な“恐怖”値(モテる独身男の一般的なそれくらい)を保っておくことは、自分自身、ひいては嫁や子どもの幸福にも直結することだ。

──すべての社会問題・人生問題の背景にあるものは、生物学的なロジックだ。

 

 

 

 

 

[Tips:情報を握るとは “支配的な立場に立つ” ということでもある]

──情報とは力であって、情報をより多く所有する側は、あらゆる交渉を優位に進めていくことができる。

 

男は、「セックスしたい」と思う女のことを──女が男である自分について知っていることよりも──より多く知っておくべきだ。

 

経済学の分野には「情報の非対称性」問題というものがある。

 

カンタンに説明すると、商品についての情報を必然的にあまり持たない買い手と、商品についての情報をより多く把握している売り手の間には必然的に “情報格差” が生じてしまうがために、売り手が優位になる不公平な売買交渉が行われてしまうというハナシだ。

 

例えば月謝10万円の塾と月謝20万円の塾があるとして、子どもを塾に通わせたいと思う親は一体どうやって、後者は前者の倍額支払うだけの教育効果があると分かりうるだろうか?結局は設定価格から「きっと良いものに違いない」と判断するほかなく、必然的に売り手優位の交渉が進められてしまう。

 

21世紀の情報社会に生きる俺たちは、日頃からますます「情報は力なり」という格言を強く意識させられる機会が増えてきている。わざわざ仮想通貨なんかを例に出さなくても、誰もがヒシヒシと実感していることだろう。

 

そして同様のことが、恋愛にも言える。

 

「ナゾ多き男」というポジションを取ることは、そのさじ加減にもよるが──もちろんただの不審人物になってはいけない!──、口説きにおいて有効性を発揮する。

 

聞き役に回り、相手にひたすら自分のことを喋らせることでプロフィールを開示させ、相手の情報を把握する。

 

自分のお喋りは程々のところにとどめておいて、「仕事は何やってる人なんですか?」「休みの日は何してるんですか?」という質問にはヒントだけを与え、オンナにアタマで “想像” させる。

 

想像とはイマジネーションの源だから、キミがオスとして有能な振る舞いを──俺がここに書いてるような動物マインドの通りに──こなしていれば、女がキミを見る目には段々フィルターが掛かってくる。

:そしてそうやって瞳にフィルターを掛けて特定の異性を認識し、アタマで妄想を膨らませ、その価値を認識上において “バブル” させることこそ、「恋」の本質でもある。

 

口説きの文脈において、自分の情報を相手に開示するのは、あくまでオンナから“興味”を引き出すためだ。けっして、男としての底を曝け出すためではない。

 

そして「この男のすべてを私は知っている(底は知れている)」とオンナが思った時、興味は急速に薄れてしまう。

 

だから男は、とにかくオンナに喋らせて、情報をより多く把握することでオンナより優位に立ち続けよう。ペラペラと自分の話ばかりをして、手の内を晒してしまうことは、“相手を楽しませる”という口説きの目的にそぐわない。

 

──「自分について相手に(本当に)よく知ってもらう」のは、口説き終わった後でいい。

 

 

 

* * * * *

 

 


2.相手が抱える“恐怖”について、シンパシーを寄せる[共感]

──そろそろマジで長くなってきたし、このトピックに飽きてきたので、もうテキトーなとこにしとこう。

 

シンパシーについて語れることは山ほどあるんだけど、同じような対処法 (コーピング) は「恐怖」とは別の“感情”に対処する場面でも(そしてトピックでも)同様に語ることができる。

 

「解決」はいったん放置して、オンナの「感情」について共感をよせること

──「コワイ!」-「こわいよね。。」──は、女がヒステリーを起こすなど、“ 感情の癇癪玉” と化したときにはその効力を発揮する対処法だが、

すでに語ったとおり、「恐怖」に際しては(男がオンナをのち口説きへと持ち込みたいということ前提でこのブログは書かれてるが)状況にもよるが、セックスを遠ざけるマズいやり方になる。臨機応変に対処しよう。*

*「臨機応変に対応しろ」は言語化できない無能野郎の常套句だが、ここまで語ってきたようなココロの本質部分(抽象)をよく理解していれば、表面的なもの・仮象的なものにも惑わされず、具体的な最善策を導く(演繹する)ことができるハズだ。

 

 

 

●「共感」という解決

──最大のポイントは、相手の感情を「システム」として理解するということだ。

 

「共感」によって感情が“解決”されるのであれば、そこには「共感→解決システム」みたいなものが備わっているということ。

 

感情を引き起こした問題を解決するのではなく「ただ、気持ちを寄せる(共感する)」ことが、ヒトのココロの取り扱いにおいては効力を発揮する場面が多い。その理由として、ヒトの感情機能の特性がある。

 

ヒトの感情は「個体自身に何らかの行動を起こさせる」(生物個体を本能が操作して、何らかの行動を喚起・促進させる)だけのものではなく、

顔面というディスプレイにその感情をありありと映し出す(※ ヒトはあらゆる動物の中で最も喜怒哀楽の豊かな表情を分かりやすく作る動物だ)ことで、それを読み取った他者になんらかの協力を求めるというところまでを見込んだものだ。

 

本来、感情機能とは、動物個体に「○○させたい」という本能の目的によるものだ。つまり、「悲しくなる」という感情機能は「悲しくならないようにさせる」ためのもの──“悲しくなるような状況にハマることは生物の生きる目的(生存&生殖)にとって不適だからやめろ” というプログラム──だったのだが、

霊長類、そのなかでもヒトという種は、ここで自分を突き動かすだけでなく「他者に協力させる」「他者を利用する」というところまでをハナから見込んだうえで感情を出す。


[ Tips: “悲しい涙” はヒトだけが持つ機能 ]

──悲しさ、は哺乳類ならみな持つ感情だとされているが、「涙を流して悲しさを表現する」種は地球上でもヒトだけだ。他の種(チンパンジーすら)において、“涙”とはたんに目に入ったゴミを取り除くものとして分泌される。

 

──しかし、人間は「悲しさ」という感情をより豊かに表現しようと、「涙を流す」という視覚的に分かりやすい機能をそこに付け加えた。その“顔面ディスプレイ”に気づきやすくすることで、他者からなんらかの支援を受けるために。

 

つまりヒトは、「感情に対して他者から“共感”されること」までをシステムの構造内に織り込んだうえで(あらかじめ見込んだ上で)、「感情」というものを発動させるように進化した猿なのだ。

 

もちろん、感情の揺るがぬ第1目的は「個体自身になんらかの対処行動を起こさせること」だが、「他個体に大丈夫か、と気遣わせる」という付随的な第2目的が、ココロシステムにおいて第1目的と同じくらいの強権を振るっている──というのが、ヒトという種が備える感情システムの特徴だ。

 

 

• “問題” のスリカエ

──ここにおいて、「問題の解決」(第1目的)よりも「他者を共感させる」(第2目的) ことが、感情を発生させる目的(for〜)として──よくある手段と目的の逆転現象のように──上回ってしまう、という事態が発生する。

 

“感情を発生させることで問題の解決を果たした個体” よりも、“感情を発生させることで他者から共感を得た個体” のほうが、生存率や生殖率をより向上させることに成功したとしたら──すなわち進化においてより“適応度”が高かったとしたらどうだろう?

 

そういう、個人として問題解決能力は低いが / 他者の共感を集めることには優れている──という個体が、他者の手取り足取りによって、より良いセックス機会に恵まれ、より最後まで生存できるという環境が、ヒト社会において保障されてきたとしたら?


──さらにいえば、オスよりも、メスの場合の方が、そういった形質を持つことが生存や生殖においてより有利に働き、より多くタネを残してきたとしたら?

 

“「ヒトの感情を宥めるためには、感情を引き起こした問題を解決するのではなく、その感情に共感すること」”

 

・・こんな無茶苦茶な理論が「実践的」にまかり通っているのも、当然のことと言えるのではないだろうか。

 

ヒト(とりわけ女の子)は「感情」を──生物学的に目的と紐付けられたメカニズムとして──"解決"ではなく、もとより"共感"目的で発する可能性/発する場合の割合 がかなり高いのだから。

そう、イヌの遠吠えのように。

 

 

つまり、些細な口論がエスカレートし、ついにオンナが癇癪玉──注目を集め共感を求める目的のためだけに発動される感情バクダン──を発した時点で、問題の焦点(重点)は「感情を引き起こした原因」から、「いま自分の感情が “ここ” に起きていること」へと移動する。

 

俺たちが気づかないうちに「問題」は手品師のごとくスリカエられ、“解決”すべき問題は後者に入れ替わっている。そしてオンナはそのことをけっしてコトバで自ら説明してはくれない。

 

むしろ、クドクドと前者を問題として話をして、俺たちの視点をそちらに向けさせる。「ねえ、なんで私がこんなに怒ってるかわかる?」クイズは、その問いの形式に合った答えというものが存在しない以上、永遠に続く。

 

「怒っていること」が問題なのであって

「なんで」はいま問題ではないのだ。

 

 

──もとより他者の“共感”目的で発せられた感情の解決法は、当然「共感を与えること」である。

そして、より多くの “共感” や “優しさ”、他者からの世話焼きコミットを収集してきたメス個体が──オキシトシンに満たされたヒト社会においては──より生存&生殖戦略を優位に進めることができたとすれば、オンナが現在、みな少なからず「かまってちゃん」で、「共感を欲する」生き物であるのは当然のことだ。

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:以上のようなこと──オンナの感情機能における「他者を共感・同調させること」の目的化──は進化論的な仮説だが、「共感による感情の消化(一般的には“浄化”というワードが用いられるが、きちんと「解決」しているという趣意が伝わりにくいため、ここでは“消化”というワードを用いることにする)というココロの対処法は、臨床心理学の世界(カウンセリング)において古くから広く用いられている。

 

そしてそれは、やたら他人に恋愛アドバイスをしたがる偉そうなオンナやオトコが(もちろん俺もその「キモチよさ」に嬉々として乗っかる一人だ)、男女関係の「まぎれもない本質」として、マニュアルやアタマでっかちな恋愛理論を批判しようとする文脈においてよく述べていること──“ 人間のココロはロジックでもシステムでもないの!Feelingなの!”──だ。


そして俺はこれに反駁したい。


ヒトのココロはシステムだ。そこにはかならず生物学的なロジックが存在する。そして、そのロジックを活用して、ヒトの感情をハックしようとしてわれわれに備わった思考機能こそ「理性」だ。

 

“感情をハックする思考ツール” が生まれたことで、もたらされたものは、幸福か、害悪か?:俺にはわからない。

 

しかし、他人の感情のロジックを理解してうまく対処したり、あるいはそれをうまく “操作” することができれば、人間は “運命” に抗うことができるのではないか?──という一抹の望みを胸に据えている。

 

予期せぬ感情の爆発が、つねに、離れたくない人間同士の仲を動物的に引き裂き、遠ざけてしまう。

 

「フィーリング」なんて曖昧なものに頼っていては、人間はただ、運命の流れに身を任せて盲目的にそこを漂い、“結末” を悲しく見送ることしかできない。

 

 

 

 

 

 

3."恐怖"という感情から意識を逸らし、紛らわせる[回避]

 

──すでに書いてきたこととかぶるところもあるが、感情の三番目の対処法:回避 について述べていきたい。

 

まずは、精神的な"回避"ではなく、行動としての"回避"について。

 

自然界における回避行動は、「恐怖」という感情に対する鉄板の解決策だ。

1では「恐怖の発生源そのものに向かっていき、安全だと確認し、解決する」ということを述べたけれど、

これはマジで滅多に死なない人間社会だからこそもっとも有効な手段となりうるのであって、自然界でそんなことしてたら死んでしまう。

 

だから、自然界では、「自己防衛の人格」が過剰にセキュリティを働かせて発動させる“コワイよセンサー”にそのまま従って、とにかく逃げとけ!!というのが生存のために有効な“解決策”になる。

 

まあ、生殖闘争に関わる場面となると、また変わったりもするんだけど(恐怖に怯んで逃げてばかりだと、オスは絶対にモテない!・・・人間社会においても、最も男同士が暴力を振るい、ケンカをしやすくなる環境とは、オンナがそこにいる場所だ)。

 

そして、これを行動ではなく、意識に適用して問題に対処しようとするのがここでいう「恐怖の回避」になる。

 

──この対処法の致命的な欠陥を先に述べておくと、"恐怖"が意識に固定化されるということだ。そしてそれが悪化すれば、「トラウマ」となる。

 

「恐怖から、意識を逸らしているはずなのになぜ?」と思うけども、それには“虚構”をリアルとして妄想するヒト特有のココロの仕組みが関わっている。


以下のサイトで、「パニック障害」の例をもちいて簡単に解説されているので提示しておこう

 


ーこのように、“ 不安 ”は回避し続けることでむしろ増幅される。


「不安」は、イマジネーション溢れるヒト特有の感情といえる。

「アタマで虚構をうみだせること」はホモ・サピエンスの種としての最大の特徴だ、と俺たちは『サピエンス全史』を読んでオベンキョしたが、その豊かな社会の発展をもたらした新しい思考機能は同時に、人類の脳みそに"思考のバグ"を植え付けることとなった:──存在しないものを存在するとうそぶいているのだからロジックが通らない=バグが生じるのも当然だ

 

:それは「将来のIFへの恐怖心」だ。

「もしも・・・」とつねに非現実を空想し、それをリアルに感じとってしまう俺たち人類は、ディズニーランドを作って夢の世界を楽しむ一方で、「妄想的な恐怖」に四六時中つねに囚われてしまうこととなった。

 

恐怖の解除法:安全を確認すること

しかし、不安という感情が “もしもの未来” “まだ来ぬ未来”について恐怖するという性質のものである以上、未来はつねに現在ではない場所に存在しつづけ、虚構はつねに現実ではない場所に存在しつづけるのだから、俺たちはそれについて「安全を確認しにいく」手段を持っていない。一度、囚われてしまうと、その恐怖はいつまでたっても解除されないのだ。


動物は「恐怖から逃げる」ことで「もう十分走って離れた。ここにはライオンはいない」と現実を冷静に認識し、自らの安全をたしかに確認し、掻き立てられた"恐怖"を解除できる。

人間は不幸にも、そうすることができない。「脳内で虚構を生み出す力」は人間を賢くした、とは、けっして言い切れるものではない。

現実でないものをひたすら妄想し、その「ウソ」を現実として捉えてしまう
──冷静に考えて、あまりにも愚かだ。「知性とは、強さではなく、弱さに由来するもの」・・否定できない。

以下、「○○恐怖症」をふくむ「不安」感情への対処法については、また次回に回そうと思う。

最新の映画の上映時間が2時間超えとか3時間超えになりそうだとか報道されると、きまって出てくる文句:「ふざけんな、膀胱がもたねえよ!!!」

──膀胱が2〜3時間すらもたないのは、けっして医学的な構造上の理由によるものではない。「オシッコしたくなったらどうしよう」という意識、「ジュースは買わないようにしよう」「念入りにトイレに行っておこう」という自ら行う“回避行動”が原因となって、発生している現象だ。

「恐怖に対して“対策”を講じること」が、恐怖を生む原因になる──。

 

 

 


感情を利用する:「恐怖」編

 

──最後に、"恐怖"というヒトに備わった感情を利用する方法について。

まず恐怖は、単純に個体の「生存率」を上げる。バイクの安全性を下手に“確認”してしまって「絶対死なない」と恐怖機能が完全にマヒしてしまうと、いつかだいたいやらかす。

もちろん、ひたすら怯えながら運転操作するのも危ないが、限りなく低くとも、ある程度の適正値を保っておく必要がある。しかし、ヒトの脳みそは──とくに「自己防衛の自己」が発動している時には──その危険性をとんでもなく過大に評価する。だから、それに対して「マイナスのバイアス」を掛けて(マイナスとマイナスでプラス)、冷静に危険性を評価し、恐怖値を保っておくことが重要だ。

そしてバイクの運転などではなく、もっと社会的な場面における"恐怖"は、現代においてはもはや、ほとんど無くしてしまってもいいかもしれない。何度でも言おう、死なないからだ。

 

 


自分の中にある恐怖


現代社会ではよっぽどのことがない限り──「これはよっぽどのことだ」と俺たちが何らかの事態について過大に脳内評価を下していても──、生命を奪われることはない。
アタマの悪いことを言うが、「憲法によって個人の生存権が保障されているから」だ。この国に生きている限り、“飢え死に”は単なるメタファーで、本当に飢え死ぬことはない。

そして、生物学的には死ななくても「社会的に死ぬ」ぞ、と有難い忠告をくれる人々は俺たちの周りに大勢いるが、とりわけまだ何も持っていない人間にとって、「社会的な死」は、大した被害をもたらさない。そもそも「社会的に死ぬ」もデフォルトでかなりオーバーに表現されていて、大抵の場合それは「コミュニティ内において(社会的に)死ぬ」と言うことにすぎないし、たんに「恥ずかしいだけ」のことを「社会的な死」と妄想的に捉えて、恐れ慄いているにすぎない。ほんとうに「社会的に死ぬ」ことは、一般人にとってまず不可能と思っていい。

 


コミュニティは移動することができる

 

ので、あるコミュニティで「やらかした」なら他のところに行けばいいし、“社会的に死ぬ” ことに恐れ慄いて、自分のしたい行動や、なりたい自分というものに抑制を掛ける必要はない。
イキって美女にアタックしたからといって、現代社会では他のオスがブチギレて殺しにくる、なんてことは無い。失敗したとしても、人の噂は75日だ。後から振り返ったら、何であんなにビビってんだろ?大したことじゃ無いのに、、と疑問に思うこと請負だ。


ヤったもん勝ちの世の中


しかし、大衆や、まわりの人間はきっとそうじゃ無い。「恐怖」という感情に囚われて、縛り付けられてつねに思考している。これは本能的な過大評価だからマイナスのバイアスを掛けて…なんて誰もやっていない。

"恐怖"に踊っているがために誰も踏み込まない領域があるなら、そこを開拓してみよう:きっとブルーオーシャンが見つかる。

「旨味」はそこにある。恐怖に駆られて、物事を過大にネガティブ評価する者が大半ならば、恐怖という思考バイアスを取り除いて、その物事を"ただしく"評価する目を持っていれば、自分だけ抜け駆けして、そこにある利益をたらふく平らげることができる。

じゃがいもみたいなツラを提げてるくせに、恥ずかしげもなく美女を口説く男がいる。それをみて「うわぁ...バカだろ」と思う側にまわるか、「なるほど、賢いな」とリスペクトする側にまわるか、というのが個人の選択になる。そして、すでに述べてきたように、「勇気」はオンナにとって、大きな魅力に映る。そしてそれはオトコにとって、大きな価値となる。──たとえ切り捨てられようと、なんどでも奮い立たせるべきものだ。

 

それを奮い立たせるには、

 

  1. バカになること
  2. 適切なリスク評価をすること


のどちらかが必要になる。

 

日本人は「リスク(心配)に備えること=賢い」というフレームで物事や人を判断しているが、すでに述べたように、その"恐怖"には現実に即した適切な値付けが行われていない。どうしてもそれを克服できないなら、脳みそ一回入れ替えて、「バカ」になってみようという気概も大切だ。

 

 

バカになるにはどうするかって?
──おちんちんに身をまかせてみるんだ。

 

女に対してドキドキしたり、ムラムラすれば、男の脳みその「自己防衛の自己」は「配偶者獲得の自己」へと切り替わる。この人格はとんでもないリスクテイカーで、自己防衛の人格であれば恐れたり、怯えたりしていたようなことを淡々とやってのける:デートするのに暗い場所を好んだり、女の前でわざわざ危険な高い場所に登りたがったり。

 

自分が成功すれば、憧れの理想の異性と“性交”できる──そうやって性欲に身を任せて物事を考えてみるだけで、男は恐怖を克服できる脳みそになっている。それでも無理ならオナニーのし過ぎなので、ちょっと控えたほうがいい:つねにビクビク、オドオドした勇気のない自分が嫌いなら。

 

おちんちんに身をまかせることは、しかし、おもわぬ性的スキャンダルを引き起こしてしまうことにもつながる。そして、そういうスキャンダルは大概の場合、職場など公的な場所で起こる(事件だ!と認知される)──オンナのアタマが “そういうモード” ではないのに、自分だけが “そういうモード” になって、仕事で絡む延長線上で口説きを行なってしまうからだ。

 

 

オンナは権力で口説くな、魅力で口説け

 

は某ヒデヨシ氏が提唱していて、俺も大好きな名言だが、要はそういう事になる。

権力が発生する場所で、口説きはしないほうがいい。「コミュニティ内でしか、恋愛はしてはいけない」と思いこんでいるのは世界でも日本人だけだ。

 

コミュニティの外、あるいは公的ではないフィールドにおいて、恋愛はヤろう、オンナは口説こう。これさえ守っていれば──滅多なことをヤラかさないかぎり──大丈夫だ。安心してムラムラしていい。「配偶者獲得の自己」は、男に勇気を与えてくれる。

 

そして、ダメな時は、執着せずに、次に行こう。口説きに失敗したのはオンナのせいではなくて、自分の魅力が足りなかったせいだ。落ち込む事はない。:生物学的な事実として──男は経験をへればへるほど、オンナにとって魅力的になっていく。余裕や自信が生まれてくるからだ。100回目のバンジーを飛び終えた際には、どんな男だろうと、こう言えるはずだ──「飛ぶのが怖い? 大丈夫、俺に任せて。」

 

 

 

相手の中にある恐怖


わざと恐怖を起こして、相手をコントロールするという古典的なマインドコントロール(人心操縦術)がある。──これについては「不安」の項目で語ろうと思う。“貢ぐ女” についての話だ。

 

ここではもっと日常に溢れていて、ハッピーな「相手の恐怖の利用方法」を書こう(わざわざ書くほどのもんでもないんだが)。

 

恐怖は本質的に「興奮状態」だ。扁桃体ドーパミンが駆け巡り、アドレナリンがドバッと出てくる。

 

興奮とは、感情のスカラーが大きく膨らんでいる状態として捉えられる。

 

口説きにおいて、オンナの感情のスカラーを膨らませることは重要だ。そうやってキモチの風船を膨らませて(けっして頬っぺたの風船を膨らませればモテるなんて一言も言ってない 笑)、あとからそのベクトルを操作し、恋愛感情へと変形させる:“ウサギちゃんにする?ダックスフントにする?それとも、、。。 ”

 

「恐怖」をわざと喚起することは──後からそれが笑い飛ばせるようなレベルのものである場合にかぎり──口説きにおいて有用だ。


“恐怖”の脳内処理は、一歩踏み外すと──けっして彼氏の首絞め挿入に調教されたドM女のことを言っているのではない(笑)──、“快感”へと変わってしまう。


ひとたび「それが安全だ」と認識してしまうと、もっともっと!と人間は “なんちゃってな恐怖” をジャンキーに求めてしまう。

 

ハラハラドキドキ → でも死なない♡

 

こういう体験が繰り返されると、その“達成感”の興奮に、ヒトは取り憑かれてしまう。これが「怖いもの見たさ」の原理だ。


強面(コワモテ)なオトコは、初対面の際にオンナに大きく避けられることもあろうが、「自分の生存」が脅かされないことを学習したオンナは、次第にその"強さ"に惹かれ始める。そしていざ接してみて、“なんちゃってな恐怖”や“自分が守られること”を知ると、その快感にのめり込んでいく

 

──これが少女漫画において幾度となく繰り返される展開──DQNやヤンキーにオンナがハマりやすい理屈だが、これはけっして思春期だけにみられるオスメスのつがいの類型ではなくて、社会に出て以降も同様に発生している。

 

肩で風をきって歩く“社会的強者”は、オンナに物凄くモテる。オスとしての牙をすっかり抜かれてしまった新人リーマンなんかがモテ序列を転落させる一方で、“ちょっとイキってる威勢のいい先輩”にオンナはみんな目を奪われる。

 

イキリ=攻撃性の高さ は女から「サイアク。。」と口では評される一方で、モテる奴はだいたいそうやってトゲがあって“有害”なやつで、ただ気軽に仕事終わりに飲みに誘われたというだけで「危なそう」「何かされそう」と女がその“オスとしての危険”を予感してしまうような男だ

 

そしてその時、頭の片隅で、セックスする自分を想像してしまう。

 

──やだやだやだ!危なっ!

 

男からかすかに香る “危険性” は、「自己防衛の自己」を刺激し、「コワイ」という感情がカラダやアタマに“臨戦態勢”を取らせる。

 

そのとき、オンナは緊張し、興奮し、「感情」が意識に強く介入する。

 

恐怖の感情は、ロジック思考による“精密な情報分析”を待っているわけにはいかない。論理的な思考は中断される。自分に突きつけられている選択は、ひとつだけ──

 

今すぐ飛び乗るか、やめとくかだ。

 

悩んだ結果、“ジャンプ”した女は、筋書き通り、ヤリチンの掌中に収められていく。

 

「まって、初めはちょっと怖かったけどなんか楽しい笑!悩んでたのがバカみたい!」

 

ヤリチンの戦術通りに、有害な男・危なそうな男・攻撃性の高い男が思いがけずに発揮する「優しさ」に触れ、“安全を確認”してしまったオンナは、脳内ホルモンの仕組みに沿って、そこに“ドキドキの快感”を見出してしまう。


オンナが後から何を言うかって?


「ギャップの威力って半端ない」

 

 

 

fin.